【1日目】出発(日本橋~神奈川宿)

 

プロローグ】東海道五十三次徒歩踏破をやりたくなった

【計画】三条までは何マイル?

【準備】前日までにやったこと

【1日目】(日本橋~神奈川宿)

【2日目】(神奈川宿~小田原宿)

【3日目】(小田原宿~吉原宿)

【4日目】(吉原宿~焼津宿)

【5日目】(焼津宿~浜松宿)

【6日目】(浜松宿~御油宿)

【7日目】(御油宿~宮宿)

【8日目】(宮宿~石薬師宿)

【9日目】(石薬師宿~水口宿)

【10日目】(水口宿~三条大橋)

【終わり】感想など

 

始まりました。

辛く長い旅が。

 

江戸時代の人は、現代人よりはるかに健脚です。そんな当時の人は、江戸・日本橋から京・三条大橋までをだいたい15日から20日間であるいたと言われてます。速い人で13日。

今回10日でやろうとしているのが、いかに無謀な試みか分かってもらえるでしょうか?

 

言っててもしょうがない。やると決めたんだ。「やるからにはちゃんとやらなきゃ!」って宇佐美奈々子も言っている。

 

まあ、初日は比較的短めなので問題なく目標まで歩いて行けるでしょう

東京・日本橋→神奈川・神奈川宿  32.7km

 

朝6時に起き、準備を整えてお別れの挨拶をして7時半頃に家を出ます

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(この電車乗ってれば1時間も経たずに横浜、2時間あれば明日の目的地の小田原か)とか思いながら東京駅で降り、日本橋に着いたのが9時。

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GWに入る前にやり残した仕事のことを考えながら銀座の街を歩きます

 

田町でバンダイナムコさんの社屋を発見

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品川手前で新駅の工事現場
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品川駅を過ぎ、八ツ山橋を越えたあたりで
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旧街道の品川宿あたりになります
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ここまで日本橋からは6kmほど

 

 

東海道の一の宿、品川宿です。

「品川の 客ににんべんの あるとなし」

という川柳があります。

・侍:にんべんある。武士

・寺:にんべんなし。坊主

基本的には宿場町なので旅の人、見送りの人や出迎えが多く訪れていた場所ですが、旅関係なしに人気のある宿だったという歌ですね

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和菓子屋さんがあったので、午前のオヤツにおはぎを買いました。
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そして川崎に向かうわけですが、

大森のあたりで道を間違えて30分ほどロスしました。余裕のある今日でよかった…
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多摩川下流の方に出てきてしまったので、六郷橋まで登ります。

 

六郷の橋を渡ると、

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川崎入りです。


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多摩川には当初橋が架けられていましたが、洪水で流されてからは渡し船(六郷の渡し)で渡るようになりました。


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川崎宿渡し船産業で発展したと言われています

 

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丁寧に標識が出ていて分かりやすいですね

 

建物などにはかつての宿場町の雰囲気自体はほとんど残っていないのですが、
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街の随所に東海道宿場町のアピールはされています。
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川崎は江戸を出た旅人がお昼を食べる場所でもあったそうで、私も少し遅いお昼をいただきました(すた丼)

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お昼のお店から出たところで雨が強くなってきたので、しょうがなく傘を買いました。

 

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川崎宿の終わりのあたりに松尾芭蕉の句碑があります。(東海道の至る所に芭蕉がいますが)

「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」

芭蕉はこの句を詠んで故郷の伊賀に帰り、その年に大坂で亡くなっています。

つまり、この句は関東の芭蕉の友人や弟子たちにとって今生の別れとなった句であり、関東で詠まれた最後の句です。


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鶴見川を渡ったところに見事な藤がありました。
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ひたすら旧道を歩き、生麦へ。

生麦には近代日本史のなかでは極めて重要な出来事と言える、「生麦事件」の現場があります

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現場から少し離れたところに碑がありました
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生麦事件は当時の状況的にいつかは起きたことだろうけど、このタイミングで薩摩藩が起こしたということは正に運命的なものがあり、この事件以後、薩英戦争から明治維新までが連鎖的に引き起こされますね。

これが薩摩藩じゃなければ、明治維新現代日本

パワーバランスは大きく異なっていたかもしれません。

そう思うと、歴史に「もしも」は無いけれど、「今」というのは数々の偶然の上に成り立ってるとも言えますね。

 

 

そして今日のゴールの神奈川宿

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ここもほぼ何もなかったです。
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当時、横浜は神奈川宿の外れの寒村だったのが、開国と同時に発展を遂げて今や立場が逆転してるというのは面白いですよね。

 

神奈川・横浜エリアは開国・明治維新とは切り離せないですね。

 

宿は桜木町のあたりでとったのですが、「鉄道発祥の地」なる看板が

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いやー

 

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大名行列を前に馬を降りなかったから無礼!と斬りつけた生麦事件から、

たった10年で

鉄道開通してるの、凄すぎないですか?

 

今日はこれで終わりです。

また明日。

 

 

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